死ニ至ル病 ── 汚染拡大 outbreak 2  




 半刻後、診療所に現れたレイシンは、何やら黒尽くめでした。ぴったりとしたシャツも黒。帆布製のパンツも黒。小さめのバッグの付いた帯革も黒。軍靴並に丈夫そうなブーツも黒。指先の開いた革手袋も黒。額のバンダナも黒。どこまでも黒。
「……なんだその怪しい黒尽くめは」
「ロウウェン様、人のことは言えませんよ」
 ロウウェンも基本黒尽くめ。内側に魔法薬の小瓶を挿せる特注の上着は黒。パンツも靴も黒。ただ、
「僕は黒尽くめじゃない」
 魔術師殿が着るシャツは、濃いめの、灰色です。どちらにせよ、二人ともとことん黒いことには変わりません。
「それにだ、……何だか、君のその装いは、工作員っぽく見えるな。さしずめ、潜入諜報員か」
「……人聞きの悪いことを言わないでください。これは、作業着ですよ。工房ではいつもこんな感じです。これが一番動きやすいんです」
「その怪しげなバッグもか?」
「怪しくありません。細々したものを持ち歩くのに便利なんですよ」
「まぁいいけどな」
 レイシンは何やら消化不良な表情をしていましたが、ロウウェンは取り合いません。持っていた地図を広げます。町の地図です。そこに、ロウウェンとレイシンが聞き込んだ罹患者──病気ではないけれど──の多発地区と、水路図から推測されるメンテナンス通路と思われるマークとが書き込まれています。ロウウェンは診療所から一番近いマークを指差します。
「行けるようなら、ここから地下に行く」
「分かりました。でも、……ここから水路の本道に出て、そこからどこに向かいますか? 地下水路までは分かっても、そのどこに術者がいるかなんて、分かりませんよね」
「……確かにな」
 歩き出したロウウェンを、レイシンが追います。
「ミスル国の魔法体系は独特なんだ。基本、魔法はその辺に漂う魔力に方向性を与えることによって一つの力になるんだ。だがあの国の魔法は贄を捧げて力を借り受けるようだ。死霊とか、精霊とか、違う理にいる何かに。言葉にチカラが潜むという考え方も、そこから来ている。何か、には、それを表す名があり、その名を呼ぶことで何かの力を引き出す、と言った具合だ。まぁ、これは民間信仰のようなもので、気休めのまじないに過ぎない。正しく何かから力を引き出すには、チカラに見合った贄を用意しないといけない」
 いきなりな魔法講釈に、レイシンは眉をひそめます。口には、出しませんが。
「贄を捧げるからには、儀式が必要になる。これは民間信仰とは違い、魔術師の領域になる。贄の数、力を借り受ける存在のグレードにより、儀式は複雑かつ大規模になる。例えば、僕は彼の国で国家鎮守の儀式を見たが、なかなか圧巻だったぞ。執り行う術者が100人と、贄代わりの供物やヒトガタや、僕が使う魔方陣とはまた違った陣を組んでいたな。とにかく、広い場所と、大勢の術者と、大量の供物が必要らしい。と、そういったことを踏まえると」
「……なるほど」
 レイシンは頷きます。
「何百人にもかける呪いが小規模なわけありませんね。とすると、術者がどれだけいるか分からないけれど、少なくとも、供物やら陣やらを組む広い場所が必要になる。地下水路のどこでもいいというわけではないと言うことですね。となると……二股に分かれた水路が合流する先が怪しくなってきますね。水路の終点か、若しくは源流か、いずれにせよ開けた場所があると推測される、……ですよね?」
 レイシンの推測に、ロウウェンは深々とため息をつきました。
「……君は本当に理解が早いな。腹立たしいくらいに冷静だし。本当にただの研ぎ師なのか? その怪しい出で立ちといい、軍の諜報員だったりするんじゃないのか?」
「自分は、一介の研ぎ師に過ぎません。評価していただけるのはありがたいのですが、それ以上のことはどうやっても出来かねます」
「どうだかな。……んん、……この辺りに、なるはずだ」
 ロウウェンは地図と付近とを見比べます。
 住宅街のど真ん中でした。戸建てではなく、集合住宅がほとんどです。単身者用のアパートも多数あります。この辺りは、地方から来た出稼ぎ労働者が多くを占めているようです。
「…………」
 二人とも黙ってしまいます。
 やがてぽつりと、レイシンがつぶやきます。
「……どうやって、見つけますか?」
 この辺り、までは見当が付いても、それ以上細かいことは、さすがに分かりません。人のいない荒れ地とかならいざ知らず、住人がいる部屋を、どう探していったらいいのか。
 ロウウェンは黙って壁際に転がっていた篭を蹴りました。穴のあいた篭は乾いた道をころころと転がり、篭の下から薄汚れた壁が現れます。
「……探すしか、ないだろう」
 レイシンは天を仰いでため息をつきます。
「住人に話を聞くのと、付近を捜索するのと、どちらになさいますか?」
「…………捜索」
「了解。急ぎましょう」
 レイシンがいかにも疲れた婦人に声をかけます。ロウウェンは壁際に積まれた篭やら木箱やらをがらがらと崩します。砂とホコリにむせる背に、レイシンの声が聞こえます。
「この辺りに地下道があると聞いたのですが、何かご存じありませんか」
「地下道? 聞いたことないね」
「では、地下室があるお宅は?」
「こんな安アパートに、そんな大層なものがあるかい」
 崩した先には、汚れた塀と泥が堆積した未舗装の道。地下水路に続くものはありません。ロウウェンは路地の隙間に入る。それらしいものはないかと、突き当たりまで探す。
 収穫なく苦労して路地から出ると、レイシンは子どもに話を聞いています。
「この辺に秘密基地に出来そうな地下ないかな?」
「……知らない」
「つれないな。タダとは言わないぜ?」
 ロウウェンは別の路地に入る。突き当たりはゴミのようなものが積まれている。眉がひくりと動く。タクトを取りだし、トリガーを引く。その表情は敵を殲滅するがごとく。堆積物が音もなく崩れて消えていく。僅かに残ったものを足でどける。さびたパイプのようなものが数本突き刺さっているだけで、地下に潜れそうなものはありません。思わず、ため息が洩れる。引き返し、途中枝分かれしたさらに細い路地へ身体をねじ込む。どういう経緯で出来たものか、身体を横にしなければ進めません。戻るときも当然横向き。犬を追い払いゴミを消し去り。やがてレイシンが顔を曇らせ近寄ってきます。
「ロウウェン様、誰に聞いても知らないの一点です。嘘をついているようにも見えません」
「……こっちもダメだ。下に降りれそうな場所はない。もう、時間が……」
 ロウウェンはもどかしそうに歯噛みします。
「ロウウェン様、ここはあきらめて他に行きましょう。入り口は他にもたくさんあるんですから」
「他か…………。……っああ! そうか!」
 ロウウェンは地図を広げます。メンテナンス通路と思しき、たくさんのマーク。今いる場所も、その一つ。
「多い、そうだ、多い。多すぎる。メンテナンスとは言え、そんなに入り口いらないだろう。つまりあれだ、……通風口」
 ロウウェンの脳裏に、少し前に路地奥で見たパイプが蘇ります。あれは、刺さっていたのではなくて、地下から突き出していた。
「……あ。……なるほど。要りますね。え、ってことは、これ全部、入り口じゃなくて……」
 全部、入り口ではなくて通風口。そんな恐ろしいことが。
「それはない」
 ロウウェンはきっぱり否定します。地図の、一つはずれた位置にあるマークを差します。
「少なくともこれは通風口じゃない。本道からこんなに離れた場所から空気を取り入れる意味がないからな。どうしてメンテナンス通路と通風口がごっちゃになったかは知らんが、……少なくともここは入り口で間違いない。……急ごう」
 足早に歩きながら、地図を仕舞う。やや遅れて、レイシンが追います。
「……一つ、気になってたことがあるのですが」
「ぁ? 何だ?」
 ロウウェンはいかにも不機嫌そうです。一般人ならびびって何でもないデスなどと言い余計に怒りを買うところですが、レイシンはその括りには入らないようで、平気で続けます。
「この呪いが発動したのは2週間ほど前、ですよね」
「まぁ、恐らく」
「でしたら、……行ってもムダでは……?」
「……ん?」
「あの、ですから、魔法……というか、呪いを発動させてしまっているのですから、その場に留まる理由がないのでは、と」
「ああ、なるほど。それは違う」
「え? 違うのですか?」
「確かに呪いは発動しているが、終わったわけじゃない。贄を捧げる儀式というのは、決まった手順が存在するのが一般的で、その手順は総じて長い。僕が見た国家鎮守の儀式も、1ヶ月かかっていたらしい。僕が見たのはそのフィナーレで、ほんの4時間ほどだ。それでも十分長かったけどな。それに、呪いは発動したけど、終わったわけじゃないぞ」
「終わってない? まだ、続くんでしょうか」
「……君が言ったはずだがな。この呪いは凝縮して体現者を作り出す。ヤン先生の言葉を借りれば、祟り神が生まれる。そうなって初めて、呪いが成就すると見ていい。つまり、……気分の悪い話だが、それはもう間近だ。仕上げに取りかからなきゃならない。逆に、そこにいる公算の方が高い」
「な、なるほど、確かに気分の悪い話ですが……今が、絶好の機会でもあるんですね? その儀式を邪魔しつつ、仕掛けた張本人をとっちめる」
「……そうだな。普通には死なせん」
 さらりと出たその言葉には、底知れぬ黒さがあるようです。レイシンも、一瞬、身を引きます。
「……そ、そろそろ着くんじゃありませんか?」
 視線を逸らすように、レイシンは辺りを見渡しました。その辺りは工房街と言われています。その名の通り、様々な工房が集められているのです。工房街の中でも、同じ職種、関係する業種でかたまっているようです。いつもなら活気に満ちた町も、今はひっそりと、通り過ぎる職人も目を伏せて急ぎ足です。
 目的地は、写本師の工房が集まっている一角でした。その中でも一番大きな工房に、目指す入り口はありそうでした。
 さすがに、勝手に捜索するわけにもいかず、ロウウェンは大人しく工房の扉を叩きます。何度か叩いて、ようやく返答がありました。それでもかなり待たされてようやく出てきたのは、工房の女将らしい女性。ぎょっとするほど、やつれています。
 とは言え、イライラ頂点のロウウェンにはそんなことは全く関係なくて、やつれるほどに疲れ果てた女性は、何の落ち度もないのにムダに睨まれます。
「……聞きたいことがある」
「な、な、……何でございましょう……」
 婦人は今にも震え出しそうです。むしろ、震えています。
「ここに、地下に通じる扉はあるか」
「え? 地下室、でございますか?」
「地下室じゃなくて、地下水路に入る──!」
「ロウウェン様、落ち着いてください。怯えさせてどうするんですか」
 ロウウェンは苛立ちのままにレイシンを睨み、けっ、とばかりにそっぽを向きます。
「……すみません。ちょっと、急いでいるものでして。実は、この辺りに古い地下水路への入り口があるはずなのですが、ご存じありませんか? ……あ、自分たちは怪しいものではありません。ヤン診療所の使いです」
「ヤン先生の……?」
 女性の目が、少しだけ、期待に輝きます。
「この奇病に、何か関係が?」
「……直接ではありませんが、有力な手がかりにはなります。その為にも、地下水路を調べたいのです。協力してもらえますか?」
 ご婦人は期待に大きく頷きます。
「そういうことでしたら、はい、あの……工房の地下に、開かずの扉があります。もしかしたら、それが……」
「それだ! 案内しろ!」
「ひぃぃ!?」
 とんがった魔術師殿の剣幕に、婦人は飛び上がらんばかりに怯えます。しかしそれはさらに魔術師殿を苛立たせるばかりで。
「何してる!? 早く案内しろ!」
「ロウウェン様! お願いですから、大人しくしていてください! あなたが怒ると、恐いんですよ!」
 と、レイシンが慌てて間に入ります。
「怒れば恐いって、普通だろう!?」
「普通以上に恐いんです! 殺気垂れ流し状態なの、気付いていないんですか?」
 言われて、ロウウェンは黙ります。そんなこと、もちろん、気付いていませんでした。
 レイシンは婦人にぺこぺこと頭を下げます。
「申し訳ありません。本当に、申し訳ありません。ただ、伝染病は一刻を争うものですから、失礼は承知で案内をお願いできませんか」
 冷酷魔術師よりさわやか研ぎ師の言葉の方が効き目があるようで、婦人は気を取り直して、
「……こちらです」
 と、先に立って屋内へ進みます。その後に、レイシンと、不機嫌の塊のようなロウウェンと。
 一同は小さな中庭に出ます。小さな井戸の傍に、乾いた桶が一つ、転がっています。写本師達はいないらしく、人の気配が全くしません。中庭の先には、古びた建物がありました。工房として使われているようで、窓辺にインクやらペンやらがずらりと並んでいるのが見て取れます。
「離れの工房に、地下室があります」
 と、婦人は言いながら工房の扉を解錠します。
「元々、ここには古い建物があったのです。それを、何代か前の工房長が修復して離れにしたと聞いています。地下室も、その頃にはあったようです」
 大きな棚がいくつもあります。内部は一つの大きな部屋で、棚を仕切り代わりにしているようです。棚には実に様々な種類の紙やインク、塗料などが並んでいます。それぞれの小部屋には広い机が備えられ、作業を中断したままのものもあります。
 部屋の奥、中途半端に作られた壁の裏側に、地下へ下りる階段がありました。
「この先が?」
 レイシンのつぶやきに、婦人はいいえと答えます。
「下は、単なる地下室です。最初からあったもので、補強して倉庫として使っているんです」
 階段を下りきれば、扉も何もなく部屋があります。ずらりと、本棚が並んでいました。随分と古い本もあるようです。
「……これは、すごいな」
 ロウウェンがつぶやきます。先ほどまでの不機嫌が消えています。その目が、興味深げに本のタイトルを映しています。
「写本師にとって、原書は宝でございます。原書をどれだけそろえるかで、工房の力量が試されます。それで……その、これが、問題の扉なのですが」
 地下室の片隅に、本棚に半分隠れた跳ね上げ扉らしきものがあります。
「……開いたことは?」
「あの、最初から、開かないのです。開け方も分からないし、この先が何なのかも……」
「ふぅん……よし、レイシン、とりあえず、本棚を移動させるぞ。そっち持て。……合わせろよ? 何気に貴重な原書があるぞ」
「…………了解」
 レイシンは何か言いたそうでしたが、結局何も言わず、本棚を移動させます。
 床に現れた四角い扉を、ロウウェンはとりあえず蹴飛ばしてみます。ホコリが舞い上がるだけで、扉はびくともしません。それどころか、
「……ってゆうか、これ、扉なのか?」
 四角い、扉らしき切れ込みには、鍵穴も、取っ手も、見当たりません。床材と同じ石で出来たそれは、見ようによっては扉に見えるけれど、本当は切り出し方を変えてみた単なる床、だったりしてもおかしくありません。
 レイシンが額を床に付けんばかりにして見ています。
「何か分かるのか?」
 ロウウェンの冷たい言葉に、レイシンは顔を上げます。
「金属製の取っ手が、あったはずです」
「……は?」
「扉の裏側に固定して、隙間から表に出して、それを取っ手にしていたと思います。床と扉の間に、一部、不自然に広い隙間がありますから」
「はぁ」
 言われて、ロウウェンも見てみますが、確かに隙間が広いところはありますが、ロウウェンにとってはそれだけです。
「劣化して折れたか、そもそも取っ手と気付かれずに取り払われたかしたのでしょう。いずれにしても、……開きませんね、普通には」
「はぁ……普通には。……普通には。……普通には、か。普通じゃなけりゃいいのか。じゃぁ壊そう」
「止めてください。自分が開けますから」
 そう言ってレイシンは帯革にくっついたバッグから細い金属の棒を2本取り出します。どちらも、先の方が直角に曲げられています。
「何だそれ」
「特に名はありませんが……便利な棒です」
 レイシンは棒の先を扉の二面に無理やり差し込みます。ぐっと力を込めると、二の腕に筋が浮き立ちます。筋肉だるまではないけれど、随分、鍛えてそうです。
 がごん
 何かが、外れるような音。大量の土埃を連れて、扉が浮かんできました。レイシンは素早く手を差し入れ、扉を完全に押し上げます。
「……よくよく、器用だよな、君は」
 何故か呆れたような口調に、レイシンは聞こえないふりをします。
 ぽっかりと、四角い穴が現れます。急な階段が下へ下へと続いています。ふわりと吹き上がってくる風はどちらかと言えばホコリっぽいようです。
「……正解みたいですね」
「そうでなきゃ困る。降りるぞ」
「了解。……すみませんが、この入り口のことは内密に願いますか? 今は混乱を招くだけだと思いますので」
 呆然と事態を見ていた婦人はレイシンの言葉に我に返ります。
「あ、はい、分かりました。あの、……どうぞ、お気を付けて」
 ロウウェンは無言のまま階段を下り、レイシンは女性に一礼してから階段に足をかけ、ゆっくりと、扉を閉じます。
 厚い扉は、その先にあるはずの足音をも閉じ込めてしまいます。ここに、地下への入り口があると、こうなってしまって、誰が信じるでしょうか。
 それでも彼らは、この先に希望があると示したから。
 後に残された女性は、そっと、祈りました。


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