死ニ至ル病 ── 感染経路 infectionroute 3  




「……こうして見ると」
 ロウウェンは地図を頭上に掲げ、日に透かすように見る。
「ランダムでは、ないようだ。一応、線が、描ける」
 指でその線を描いてみます。一本、それに枝分かれするように、二本。
「……問題は、それが何か、だよな」
 ため息をつき、空を見上げます。
「物事は意外に単純だ。何か共通するものがあると言うより、こういう何かがあると思った方がいいかもしれない。後はそれに気付くかどうか、……だな」
 ロウウェンは今、一人シュイにいます。上の手でも下の手でもない、繁華街。大通りから一本入っただけの、規模の大きなシュイです。普段なら屋台が並び客足が途切れることもなく大賑わいなのでしょうが。屋台はかろうじて2つあるだけ。客もまばらです。
 中央の井戸の周囲には、テーブルやイスが置かれていました。屋台でテイクアウトしたものを座って食べられるようにしているようです。大通りに近い、規模の大きなシュイでは時々見られる光景です。ロウウェンは、空席の目立つ席の一つに座っていました。近くにレイシンの姿はありません。
「さて……とは言え……病気と、この線と、どう繋がる? せめて……せめて、感染媒体か何かが分かればいいのに……」
 どこかの影の言葉ではないけれど、知識だけは無駄にあります。しかし、経験に裏打ちされたものは多くありません。医療分野において、ジョシュアやヤンにかなうとは到底思えません。
 ロウウェンに求められているのは、それ以外。医者では気付けない何かに、気付くこと。
 医療ではない、何か。
 違和感を覚え、探し求めるように、周囲を見回す。屋台。店主。鳩。鳩。女。子ども。ローブ。屋台。老人。
 …………。
 視線を戻す。
 白いローブを目深にかぶった人物。それなりに背丈があるから、多分、男。かなりの、細身。うつむき、周囲を窺いながら歩を進める。けれど、行くあてがあるようには、思えない。
 なぜか、気になる。
 立ち上がった。近付く。自分で自分の行動に驚きつつ、声をかける。
「君、……どこに行く?」
 自分の行動を不可解に思っていたからか、ロウウェンは自分でも意外なほどに低い、詰問するような声が出ました。
 当然、相手は驚き、
「え、あ、あの、ボク、違うんです、病院を、探してて……」
 その、声は。
「……アレクシア!?」
「!?」
 呼ばれて、ぎょっとしたように上げられる顔、赤み掛かった金髪と翠の瞳。間違いようもない、異邦人の証。
「え? いや、何で? 城は? 隔離は?」
「……出て行けって、言われて、出された」
「……はいぃぃ?」
 拍子抜けしたように、ロウウェンは頭をわしわしとかき混ぜる。
「ん〜? んんん〜? どういうことだ? やってること矛盾してないか? ああ、いや……そういうことか?」
「どういうこと?」
「……推測だけどね。アレクシアを隔離したのは、城内がパニックに陥らないようにと、僕が病の解明に本腰を入れるように、だね。でも実際、罹患者を城内に置いておきたくはなかったんじゃないかな。だから、追い出した。……って、ところかな」
「ふぅん……何にしても、消されるよりマシか」
「はは。アレクシアをそんな目に遭わせるなら、城ごと消し去る。いや、すでにアレクシアを厄介者扱いしたんだ、それ相応の目には遭ってもらう」
 ロウウェンは笑って言いますが、明らかに、冗談ごとではなさそうです。
「さて、感動の抱擁といきたいところだけど」
「セクハラ」
「それ以前の話。君、随分顔色悪いよ。ちゃんと食べてる? 解明までもう少し時間が掛かりそうだしさ、この先は体力勝負だよ。診療所に連れてってあげるから、ヤン先生のお世話になろう」
 アレクシアはふるふると首を横に振る。フードをかぶってしまえば、表情は口元しか見えません。
「……ボク、医者は、……イヤだ」
「イヤって。そんな場合じゃないだろう? ってか、探してたんでしょ?」
「そう言っただけで、探してない。探してたのは、……誰にも見られないで、じっとしとける場所。迷惑の、かからない場所。死病を振りまきたくないから、なるべく」
「いやぁ……気にしなくても。病人だらけじゃないか、町全体が」
「知ってるよ。ここまで、見てきたし。でも、イヤなんだ」
 頑固な白ローブに、思わずため息が洩れます。
「……ごめん、ロウウェン。君には、見つかりたくなかったよ。これ以上の負担をかけたくなかった。バレないように、フードも限界までかぶってたのに。……なんで、分かったの?」
「分かったというより、正直、怪しくて気になった」
 むしろ今まで何故誰も誰何しなかったのか。そっちの方が気になります。
「とはいえ、もう君がここにいるって、知っちゃったし。どことも知れない場所にいるより、多少は安心できる場所にいてくれたほうがいいんだよね、正直」
「それは……わかるん、だけど」
 うつむいて歯切れ悪く。何か理由があるのだろうけれど、いまここでロウウェンに打ち明けるつもりはないようで。やれやれと、言うしかありません。
「じゃぁ、こうしないか。君はヤン診療所へ行く。治療を受ける受けないは自由。けど、その敷地内にいること。これくらいなら、譲歩してもいいんじゃない?」
「う、うん……わかった」
「そうか。なら、早速行こうか。そうだ、せっかくだし、何か食べていく? これってデートみたいじゃ……」
 ロウウェンが馴れ馴れしくアレクシアの肩を抱こうとした瞬間、アレクシアはロウウェンの手を力いっぱい振り払い、飛びのきます。
「触るな!」
 激しいまでの、剣幕で。
「ちょ、そんな、そこまで怒ること……」
「うつったらどうするんだ!」
「え、……あ」
 一つ、頷き。
「接触感染はしないよ」
「……え?」
「接触だけじゃない。空気感染も、可能性は薄い。診療所でも、医療スタッフに罹患者はいないんだ」
 正確には違いますが、それは、ささいなこと。アレクシアを落ち着かせる方が、ロウウェンとしては重要なのです。
 目に見えてアレクシアは安堵します。
「本当に?」
「うん、だから、君が心配するようなことは……ない……」
「……ロウウェン?」
 いきなり顔色を変え、口元を押さえ、何かとんでもないことをしでかしたような。
「……物事は、至って単純だ。それに気付くかどうかは、別として」
「はぁ。何のこと?」
「この病は、接触感染しないんだ。つまり君は、」
 アレクシアはフードを持ち上げロウウェンを見ている。ロウウェンはそこに細い糸を見た気がする。
「……どこで、罹患した?」
「ど、……どこって……」
 強い光を宿す瞳に、思わず、たじろぐ。
「僕はてっきり、城に出入りする業者から罹患したのだと思っていた。思い込んでいた。接触感染も、飛沫感染も、空気感染すら可能性としては薄い。その状態で業者から罹患する可能性はないに等しい。ならば、どこで? 簡単な話だ、城に罹患者は君一人、つまり君は、城ではない場所で、恐らくこのスーシアで、罹患したんだ。君が最後にこの町に来たのはいつ? どこに、行った?」
「え、えっと……」
「恐らくその日その時に、……罹患した」
 アレクシアが息を呑む。
「あ、……あの、時……」
「……心当たりがあるんだね?」
「2週間くらい、前……に、お使いに来たよ。最近よく出入りする刃物研ぎ屋さんのところに急ぎの仕事を頼みに。……そう、地震があった日だよ」
 仮定で作られたピースがかしかしとはまっていく。
「潜伏期間は不明だが、……時間的には、可能性が高い。罹患者からの二次感染がないと仮定すれば、もしかしたら全員がその日その時に罹患したのかも知れない」
「そんなことって……それ、本当に伝染病なの?」
「正確には伝染しないかも知れないから、未知の病としか。状況からすると、地震と何らかの因果関係があるかも知れないね。地震によって地中から未知の病原菌が瞬間的に放出されたとか、ね」
 険しい顔で考え込むロウウェンは、近寄っただけで凍り付きそうに見えます。
「……行ってみよう」
「え? ど、どこに?」
「2週間前、君が立ち寄った場所。どの時間、どのルートを通ったか。どこにどれだけ立ち寄ったか。全部検証して、手がかりとする」
「わ……わかった。えっと……どこから、案内すればいい?」
「ふむ。まず、どんな手段で町に来た? それは何時頃?」
「えっと……なじみの精肉業者の馬車に、便乗させてもらったよ。朝食前だから、7刻過ぎくらい。中央大通りの店の前で降ろしてもらって、……7刻半くらいかな」
「よし、そこから検証しよう。……手伝ってくれるかい?」
「……! うん……ありがとう、ロウウェン」
「お礼なんか。それより、さっきの抱擁の続きを……」
「セクハラ」




 店の前でばったりと。
「レイシン、君か」
「ロウウェン様? 何故、こちらへ?」
 レイシンは目を丸くしてロウウェンを見ています。
 昨日に引き続き、ロウウェンは上の手方面へ、レイシンは下の手方面へ聞き込みに出ているのです。レイシンの店は下の手寄りです。こんなところでロウウェンに出くわすことはなかったはずなのです。しかもロウウェンはフードを目深にかぶった怪しい白ローブを連れています。レイシン的には、なんだこりゃ、です。
「あの、……こんにちは……」
 白ローブがおずおずと声をかけてきます。こんにちはと言われても、どう返したらいいやら分かりません。
「ロウウェン様、こちら、お知り合いの方ですか?」
「……んん?」
「あの、ボクです。城の、厨房の……」
 そう言いながら白ローブがフードを持ち上げる。金髪に翠の目がこちらを見上げている。
「あ……アンタか。ああ、昨日、知り合い的なことを聞いたな。で、何でここにいる?」
 アレクシアではなく、ロウウェンが応えました。
「この奇病が、接触感染の可能性が低いことは理解できるか?」
「え? ……何となく。診療所のスタッフも、出入りしていた自分も、二次感染はしていませんから」
「そうだ。だから、アレクシアも二次感染ではないと推測できる」
「は? あ、…………そうか。感染した場所が、問題なんですね?」
「理解が早くて助かるよ。アレクシアが最後にこの町に来たのが2週間前、地震のあった日だ」
 レイシンの顔が険しくなる。何かに気付いた、ように。
「……ロウウェン様……」
「何だ」
「もしかしてこれは、……伝染病ではないのですか?」
「まだ分からない。それを確かめに行くんだ。が、ひょっとしたら、罹患者全員、2週間前に感染してたって可能性もあるよな」
「地震と……無関係とは、考えにくいですよね」
「状況からすると、そうだな」
「あ、あの……話の途中で申し訳ないんだけど……」
 アレクシアが片手を挙げて発言します。途端に、仏頂面だったロウウェンが相好を崩します。
「申し訳なくなんかないよ。レイシン如きに遠慮する必要ない」
「如き……」
「で、何かな?」
「うん、あの、……基本的なことなんだけど、ロウウェンと研ぎ師さんって、知り合いだったの?」
 思わずロウウェンとレイシンは顔を見合わせてしまいます。
「いや……いやいや、こいつを知ったのはつい昨日だよ。町の診療所で役に立つ助手を頼んだら、紹介されたんだ。ひょっとして、顔を合わせたことがあるだけ? 名はレイシン、メイドのレイリーの弟だそうだ」
「レイリーさんの? あの、初めまして……じゃないか、ボク、アレクシアと言います。改めて、よろしくお願いします」
「あ、こちらこそ。っていうか、だから、何だってここに……いや、もういいか。もういいや」
 どうやら何かを自己完結したようです。
「で、二人して、2週間前の再現でもしているんですか?」
「そういうことだ。アレクシアがまずは研ぎ師の店に向かったと言うから来てみたんだが、君の店か。その若さでよく店が持てたな」
 大きくはないけれど、それなりに立派な店です。格子戸の向こう側には、よく切れそうな包丁がずらりとディスプレイされています。それから、数は少ないけれど、短剣や片手剣も。
 レイシンは軽く肩をすくめます。
「引退した師匠の店を継いだんです。看板は、継ぎませんでしたが」
「ほほぅ……っていうか、君こそ、何してるんだ? 調査は終わったのか?」
「自分は、忘れ物を取りに来ただけです。それより、手がかりを掴んだのなら、自分も同行させてください。調査対象不明のまま続けるのは骨が折れるんです」
「えええ〜〜〜」
 ものすごく不満そうな声と表情。当然、魔術師殿が。
「僕とアレクシアのラブラブ紀行を邪魔する気か?」
「あ、たわごとなんで『たわごと!?』聞き流してください。むしろ、一緒に来てもらえる方が『流された!』助かります」
 途中のロウウェンの発言は全くなかったかのようなアレクシアの言葉に、レイシンは思わず吹き出します。
「あ、……アンタ、結構面白いんだな。まじめ一辺倒かと思ってたよ」
「そう……ですか」
「ああ。あと、別に敬語とかいらないから。呼び捨てでいいし」
「えっと……うん、ありがとう」
「……レイシン、ちょっと」
 見れば、魔術師殿が殺気立った様子でレイシンを睨んでいます。
「はい、何でしょうか」
「一つ忠告しておくぞ。アレクシアにちょっかいだそうものならその首あ、がっっ」
「…………。」
 ロウウェンはレイシンの目の前で脇腹を押さえてぷるぷる震えています。アレクシアの突きを喰らっていたのですが、見るからに痛そうでした。今も、痛そうです。
「……本当に、たわごとだから」
「ぁ〜……そのようだ」
 レイシンとしては、要監視対象がこんなだとは、思ってもみなかったことでした。




 ロウウェンは井戸の中を覗き込みました。遙か先に、僅かにきらめく水面らしきものが見えます。地震の影響で涸れた、と聞いていたけれど、それは正確ではないようです。漏れ出してしまっている、が正解でしょう。
 下の手の中でも、スラムに近いシュイでした。屋台が取り囲み、イスやテーブルが持ち込まれているのは他と変わらず。カタギには見えないものがちらほら見えるのが特徴と言えば特徴。井戸を覗き込む3人を胡散臭そうに見ています。
「……2週間も経つのに、何で修理しないんだろう」
 アレクシアがぽつりとつぶやきます。確かに、よそから見ればそうなのでしょう。でも理由を知っているレイシンにとっては、その事情は苦笑いものです。
「ここ、ちょっと特殊だからな」
 と、レイシンがつぶやきます。
「特殊?」
「この辺りじゃ有名だ。この先に花街があるから、かなり賑わうんだ。でもって、シュイ挟んで向こうとこっちで所轄が違うから、何かと揉めるんだ」
「は、はなまち? しょかつ?」
 聞き慣れない言葉に戸惑うアレクシアと、とっさに反応できないレイシンと。でもロウウェンは心得たもので、
「……成る程ね。ああ、つまり、花街っていうのは、主に男の性欲を満たすお店が集中している地域だよ。そういう町は人の出入りが多いからさ、付近のシュイは賑わうんだ。ここもね。でもここは残念ながら、隣り合う自治体の境界上にあるみたいだね。どっちが井戸を補修するかでにらみ合いってとこかな。補修したものが、そのままシュイの管理者って図になりかねないからね。最終的には半々で手を打つことになるとしても、下手に出たら相手に乗っ取られかねないって思ってるんじゃないかな」
「な、なんだか、むずかしいね」
 レイシンが頷きます。
「そうだな、自治体が、普通の自治体同士なら、ここまで揉めたりしないんだろうな。花街を仕切る自治体は、裏組織だって、公然の秘密だ。あ、え〜っと、……町を締めているのはいわゆる犯罪組織って言えば分かるか?」
「えええ!? そ、それって、大丈夫なの!?」
 あせるアレクシアを、ロウウェンがまぁまぁとなだめます。
「どこの国でも、スラムとか娼婦街を仕切るのはそんなものだよ。まともな自治体がそんなものを抱えたがるわけがない。問題山積みだからね。だからある意味、裏組織は必要悪でもあるんだよ。それよりさ、何でこんなとこまで来たの? スラムも近いし、あんまり安全とは言えないところだよ?」
「……そうみたいだね。でもそんなこと聞いてなかったから。厨房の先輩がここの屋台のお菓子を買ってきてくれって、言うから。それに……おいしかったよ?」
「いや、おいしいって」
「ん、あれだな?」
 言ってレイシンが指差す先に、こ汚い屋台が。やはりこ汚い店主がしかめっ面で何かを焼いています。甘い、香ばしい匂いが漂っています。
「うん、そう。よく分かったね?」
「最近評判になってる店だ。自分も、よく手土産にする。……姉への」
「レイリーさんも好きそうだよね。すごく……おいしい」
「よし、じゃあ行こう」
 と、声をかけつつ、ロウウェンはすたすたとその屋台に向かいます。
「え、ロウウェン?」
「食べたいんだろう? そんな顔してるよ」
「うそ!? 本当に!?」
「ぁぁ……確かに」
 レイシンにまで指摘され、ますます焦るアレクシア。振り返るロウウェンは、すでに代金を支払っているところでした。
「……っていうかさ、実際、……ちゃんと食べてた? たった一日で見るからにやつれちゃってるよ」
「…………。」
 アレクシアは、気まずそうに口を閉じる。ロウウェンは軽いため息と共に、焼きたての菓子を一つ、差し出す。
「……ありがとう」
 両手で受け取るアレクシアに軽くほほえみかけ、レイシンにも投げるように寄越し、自身も焼きたてを一口。
 大麦粉を水でといた薄めの生地に、アズキを主体とした餡が挟まっています。生地はさっくりふんわり、餡は……
「……なんか、色々入ってる。クルミ? マメ?」
「クルミ ソラマメ アオマメ アワ 干し柿」
 応えたのは、仏頂面の店主でした。
「干し柿? これか。ふぅん……確かに、旨い」
「兄さん達、城のモンか?」
「……何故そう思う?」
「そっちの」
 と、店主は白ローブを指差す。
「顔隠してっけど、異国人だろ? 城の厨房の異国人ったら、有名だ。2週間くらい前にも見てっし」
 アレクシアはロウウェンに隠れるように後ずさります。店主は不機嫌そうに鼻を鳴らしました。
「一体、何の調査だ? 井戸の修繕でもしてくれんか?」
「……管轄外だな。それは自治体の仕事だろう?」
「そうだけどな。伝染病騒ぎで人手が集まらねんだ。両側で話もついてっのによ」
「へぇ。もっと揉めてるかと思っていた。だから修繕もままならないのかと」
「井戸は、生命線だしな。そこは両方折れるだろ。なのに……修繕の見通しがたたねぇ。ここに店出すのに、余所で水汲んでくんのは大変だぜ?」
「ふぅん……修繕の計画はどこが立ててるんだ? 話を、聞いてみたい」
「……自治会の方だ。そっちの通りの、金物屋の二階に事務所がある」
「そうか、礼を言う。あと、これ、おいしかった」
 店主は愛想がないながらもにやりと笑う。
「まいど」




 人通りの少なくなった通りを、彼らは歩いていました。向かう先は、涸れ井戸のあるシュイを管轄する自治会の事務所。
「何を聞くの?」
 と、アレクシアが事務所へ向かう道すがら口を開きます。隣を歩くロウウェンがアレクシアの方を向いても、実際に見えるのは目深にかぶったフードばかりです。
「……井戸について」
 頭上から降ってくるロウウェンの声に、アレクシアが首を傾げる気配がします。フードの中のことです。
「あの井戸、何か特別なの?」
「分からない。から、聞いてみたいんだよ。修繕の計画を立てていたなら、当然、井戸の損傷具合なんかも調査しただろうし、……実際、全てではないにしろ、井戸の周辺で罹患者が多いのも事実だから」
 聞いたとおりの道を辿れば、目的の金物屋はすぐに見つかりました。外階段で二階に上がり扉を叩くと、男性の声が応えました。
 事務所には、中年の事務員が留守番を兼ねて独りで詰めていました。用件を告げると、すぐに書類を用意してくれます。
「こちらが計画書になります」
 古びた机に書類を広げます。中身は、ほとんどが図面でした。井戸の深さ、形状、損傷箇所、損傷具合、修復見積、修復計画図。その中に一つ、井戸とは全く違う図面がありました。
「これは? 地図……いや、建物……じゃないな、水路か何かか?」
「左様です。よくおわかりになりますね。かなり古い時代のものを、書き写したのです」
「…………ひょっとして、あの井戸の近くを通っていたりするのか?」
「左様です、左様です。どうやら、そのようでして、井戸の水もこちらの水路の方に流れ込んでいるのではないかとみているのです。ただ、確認前に担当者が伝染病にやられてしまいまして、中断している状態なのです」
「……こっちの修繕計画図を見る限りでは、書かれた時点では水路は確認されていなかったように思えるが」
 アレクシアもその図面を見ているのですが、残念なことに、何が何やらさっぱりのようで、ひたすら困ったようにしかめっ面をしています。レイシンもしかめっ面ですが、こちらはさっぱりと言うほどでは成さそう。しかもロウウェンの洞察は何やら鋭かったようで、事務員の男性は感心するように何度も頷きます。
「さすがですね。よくお気づきで。まさに仰るとおり、修繕計画を立て、見積もりをとっているときに、その業者のご隠居が、水路の存在を聞いたことがあると、言い出しまして。もし存在するなら、水路の壁を塞いでから井戸の補修をした方がいいのではという話になったんです。それで、担当者が王立図書館に行って水路の記録を見つけて書き写してきまして。ただ、当時の地図と今の町並みは変わっておりますから、実際の水路はどこを通っているのか、照らし合わせなければならないのですが」
「その前に罹患したか」
「左様です。すぐに代わりを指名するべきなのですが、この通り、この事務所はもちろん、近所の業者も軒並み開店休業状態でして。はっきり申し上げて、井戸の修繕はいつになることか。ライフラインの要だとは分かっているのですが」
 なかなか要領のいい説明です。要領がよすぎて、アレクシアには理解が追いつきません。その視線はどこか遠くを彷徨い、すでに考えるのを放棄しているようです。ロウウェンはもちろん、レイシンも頭の回転が良さそうなので、多分、この場で分かっていないのはアレクシアだけです。
「……この水路の写し、借りていいか?」
「え? ええ、はい、後で返して戴けるなら、どうぞ、お持ちください」
「助かる。……大分、近付いた」
 ロウウェンは写しを折りたたむと、そそくさと事務所を出ました。診療所に戻るぞ、と、素っ気なく言うけれど、心なしか、その足取りは軽いような。
「ロウウェン様」
 と、レイシンが口を開きます。
「あの水路の見取り図ですが、罹患者発生地にかなりかぶってるように見えませんか?」
「見える。諸状況から考えても、水路に問題があるとみていいだろうな。後は実際に行ってみないことには、な」
「水路にですか? ……井戸の裂け目を広げて入るんですか?」
「誰がそんな力押しするか。水路として作られたんなら、メンテナンス用の出入り口があるはずだろう。……通れるかどうかは別としても」
「なるほど、道理ですね」
「ま、先生達もこっちの捜査状況を気にしてるだろうし、報告がてら、町の地図と照らし合わせて…………アレクシア?」
 ロウウェンはぱっと身を翻すようにアレクシアに駆け寄ります。……いつの間にか、彼らから10歩ほど遅れていたのです。
「どうかした? 苦しいの?」
 隣に立ち、肩に手を置き、顔を覗き込み。もっとも、目深にかぶったフードの奥は、その程度では届きません。
「あ、ロウウェン……ごめん、遅れたね。もうちょっとペース上げるよ」
「そんなこと言ってないよ。……具合悪いんじゃない?」
「大丈夫だって。心配しすぎだよ。ほら、レイシンが待ってるよ。何事だって、顔してる」
 アレクシアは努めて軽く言ってみるけれど、その声にすら、疲れが隠しきれません。
「ちょっと、アレクシア」
 いつになくロウウェンの声は低く、厳しい。
「明らかに無理してるよね」
「ホントに、ぼーっとしてただけで、何でもないから」
「何でもないなら顔を見せなさい」
「……大丈夫だよ」
 肩に置かれた手を振り払うように、歩き出す。
「心配性だな。ボクは、平気だから……」
「……なら、こっちを向け!」
 乱暴に肩を掴まれ、その拍子にぱさりと、フードが落ちる。驚いて振り仰ぐと、怒ったようなロウウェンの顔。何か言いかけたような唇が、何故か、そのまま止まる。
「……え、……何?」
 アレクシアは首を傾げる。ロウウェンはアレクシアの肩を掴んだまま凍り付いたように目を見開いている。首を巡らせれば、数歩先のレイシンもアレクシアを凝視している。何かに驚いている、ように。
「……? …………!!」
 アレクシアも気付く。頬を、包み込むように両手を当てる。もちろんそれで何が分かるわけではないけれど。それでも、分かってしまう。
「……アザが、広がってる?」
 わななくアレクシアに、レイシンは冷静に自分の左目の下辺りを指差します。
「この辺りまで、来てる。」
「レイシン!」
 ロウウェンが珍しく声を荒げます。
「黙ってろ!」
 猛獣すら射殺しそうな視線に、レイシンは軽く肩をすくめます。
「大丈夫、まだ時間はある。原因が地下水路にあることはほぼ間違いない。あと少しだ。心配しなくていい」
 肩を抱いてささやくように。言い含ませるようなロウウェンの言葉に、アレクシアはどうにか平静を取り戻します。
「ごめん、本当に、大丈夫だから。さ、早く診療所に行こう。病原菌のある場所が分かったなら、後は医者がいないと、でしょう?」
「あ、ああ。それは、まぁ。しかし……」
 まごつく魔術師殿に、レイシンが口を挟みます。
「……しんどそうなら、ロウウェン様が負ぶったらいいと思いますよ」
「成る程、それはいい」
「よくない! ってか、いらない! 平気、歩く!」
 再びフードを目深にかぶって足早に歩き出すアレクシアの手を、ロウウェンが掴みます。不審そうにロウウェンを見る。……視界に入るのはフードばかりですが。
「……何、この手」
「ゆっくり行こう」
 ロウウェンは先ほどまでより緩い歩調で歩き始めます。
「この奇病は、体力勝負だ。対処法を見つけるまでは、ひたすら耐えるしかない。だから、こんなところでムダに体力使う必要はない。ね?」
「…………。」
 一行は黙って歩きます。少し前にあった筈の軽やかさは、もはやありません。

 そんな彼らを診療所で待っていたのは、ジョシュア医師の衝撃発言。
 これは、病ではないかも知れない、と。


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