死ニ至ル病 ── 感染経路 infectionroute 1  




 拠点となる診療所は、予想していたものより、ずっと立派で大規模でした。ベッド数40、常駐医師3、非常勤医師3、看護師12、他にも入院患者用の食事を作る調理師や事務員、通いの清掃婦、夜間勤務員もいるとのこと。
 現在ベッドは全て埋まり、収まらない患者が床にまで溢れています。
 ロウウェンとジョシュアは荷物を同行した兵士やメイド達に任せ、案内されるままに裏手に回ります。通されたのは、倉庫。とは言え、中に入っていたであろう荷物は、全て外に積み上げられています。代わりに事務机が運び込まれ、カーテンで仕切られた奥は簡易の仮眠室のようです。
 適当に座って待つことしばし、お待たせしましたと中年の男が入ってきました。
「えろう待たせてすんません。患者が次から次へと、ほんま、キリないですわ」
 独特のイントネーションはスーシアよりずっと西の島のもの。
「三代目ヤンです。よろしくお願いします」
 そう言って頭を下げるヤンは、ジョシュアより年齢も体格も一回り上のようでした。無精ひげも手伝って、神経質そうなジョシュアと並ぶと、野性味溢るるといった形容詞がぴったりきます。
 ジョシュアは立ち上がり、右手を差し出します。
「宮廷医術師のジョシュアです。こちらは、宮廷魔術師のロウウェン様。今回はオブザーバーとして参加です」
「ご足労戴き、恐縮です」
 ジョシュアの手を両手で握り、下げる頭は礼節的なものだけではない切実さがにじみます。
「早速ですがヤン先生、まずは伝染病についての詳細を教えて戴けますか。こちらは、噂以上のことはあまり知らないのです」
 ヤンはふむと頷きます。立ち上がり、倉庫の扉を開き、誰かを呼ばわります。近くにいたらしい誰かと二言三言言葉を交わし、「ちょっと待っててください」と向き直ります。
「あれは、よう説明しきらんです。実際に見てもらった方がええですわ」
 ほどなく、扉がノックされます。入ってきたのは、両腕に入れ墨を施した、若い看護師。
 ジョシュアが眉をひそめます。医療関係者としては、当然の反応だったかも知れません。医療関係者でなくとも、看護師が入れ墨など、違和感を覚えるのは当然です。しかし、
「これ、入れ墨とちゃいますよ」
 そんなことを、ヤンが言います。
「痣としか聞いてへんでしょう。こんな、入れ墨みたいな模様してるとは、聞いてへんでしょう」
 痣。これが、奇病の特徴である、痣。
 確かに、聞いていません。こんなに、痣に見えない痣だとは。こんなにも黒々と、模様を肌に残すとは。
「か、……彼女は」
 隠せない動揺に、ジョシュアの言葉が支えます。明らかに勤務中と見える、看護師。その看護師が、痣を持つ。
「見ての通り、罹患してます。……ありがとぅ。もう戻ってええよ」
 彼女は一礼し、現場に戻ります。
 ヤンがその背を見送り、ふぅとため息をつきます。
「……人手が足らんのです。彼女は、症状はまだ軽いからゆぅて、看護する側に回ってくれてるんです。ほんまは……じっとして、体力温存しといた方がええんですけど。…………言えません。色ンなこと呑み込んで、おおきに、言うしか……」
 頭を振り、大きな手でぴしゃぴしゃと自分に喝を入れ、ヤンは弱音を閉め出します。
「……最初は、微熱から始まります。何だか身体が重い・だるい思ぅてるうちに、うっすら、痣が出てきよります。痣はだんだん濃ぅなって、斑だったのが、繋がってきます。模様みたいに、……さっき見はったとおり、入れ墨みたいに。微熱は高熱になり、悪寒・嘔吐・目眩なんかの症状が出てきます。……主立った症状はそれくらいですけど、その頃には、痣は墨で描いたみたいに黒々してきよるんですよ。そうなったらもぅ、手の施しようがありません。まぁ……手立てがないのは、最初っからですけどね。体力の消耗を最小限に抑えるくらいしか……」
 ふと、自嘲の笑みが浮かびます。
「親父……二代目ですけど、結構な高齢でして。二代目としては、早ぅ楽隠居したかったみたいですけど、……長い長い海外留学にも、文句一つ言わんと金出してくれて。ぎょうさん、学ばせてもらいました。こっち戻って、医療レベル上げよう躍起になって……上手くいってる思ぅとったんですけど。まだまだ、甘かったみたいですわ。なんも…………なんも、分からんのです。見当もつかへん。何の病気や。感染ルートすら分からんって、…………何を学んできたやら」
 震える細い声は、無力を嘆くもの。無力を知りつつそれでも立ち向かってきた男の本音。多分、……誰にも、見せたことのない。
「……だからこその、協力態勢じゃないですか」
 きまじめで、力強いジョシュアの言葉。
「すみません。正直、ここに来るまで町医者如きと、侮っていました。本当に、申し訳ない」
 頭を下げる宮廷医術師にヤンは慌てたように腰を浮かします。
「や、やめてください。そんな、せんとってください」
「……私も、罹患者を助けたい気持ちは一緒です。気落ちしている暇はありません。考えましょう」
 真剣な瞳に、ヤンの表情が医師のものに戻ります。
「…………そうですね。言わはる通りですわ。がっくりきとっても、患者が減るもんじゃなし」
「ええ。こちらでは、感染症に対してどういった対応を?」
「一般的なことです。生水の煮沸。換気。清掃。消毒。後は、害虫駆除と、鼠の駆除と。糞尿汚染も考えられましたから、町の一斉清掃も」
 どうやら、ヤンが先頭に立って住人を動かしていたようです。町の一医者に過ぎないけれど、その影響力は半端ないものがありそうです。
 ジョシュアが、少なからず動揺します。
「……そこまで徹底しても、効果はないのですか?」
「一向に。咳もくしゃみもないから飛沫感染の線は薄いし、空気感染も、しっくり来んのですわ。それやったら、私ら医療関係者が、真っ先に罹患しそうなもんやし」
「診療所で、先ほどの彼女以外での罹患は」
「ありません。ほんまに、彼女だけなんです。これ以上、どう考えたらええか」
「…………最初の罹患者は?」
 ヤンがぎょっとしたように振り向きます。今まで完全に意識の外にあったロウウェンが、言葉を発したのです。そういやいたんだと、再認識するような。
「あ、……最初の?」
「最初の、罹患者。話を聞けるか?」
「いや、無理ですわ。最初に罹患が確認されてから10日ですけど、罹患者は長いもので1週間、短ければ3日ほどで息を引き取ります。せやから、最初の方の患者は、もうみんな生きてません」
「そうか……なら、最初に罹患者が出た場所は?」
「あ、それは……まだ……」
 ヤンは幾分決まり悪そうに頭をかきます。
「すんません、最初はそういった調査も手がけてたんですけど、あっちゅうまに罹患者が溢れて、立ち消えてしもぅて。面目ない」
「構いません。それは、僕が調査します」
「っえ、魔術師様自らが?」
「……僕がここにいても仕方ないでしょう。僕は医療関係者ではありませんから。罹患者への対応は任せますよ。役に立ちそうな魔法薬も持ってきましたから、適当に使ってください。僕は、町を回ります。まずは第一次感染者が出た場所を特定します。その上で、感染源の特定をしてみます。僕は……僕は、それくらいしかできませんから」
「そうでっか。ほんなら、そちらはお任せします。なんか……こちらで用意するものはありますか」
「特には……あ、いや、助手が欲しい。僕はそこまでこの町に詳しいわけではないから、ある程度顔が利いて、それなりに使える者がいれば」
「はぁ……なるほど。せやったら誰がええか……わかりました、すぐ、用意します」
 ヤンは倉庫を出、診療所へと向かいます。ロウウェンとジョシュアも、それについていきます。
 診療所に踏み込み、ロウウェンとジョシュアは、聞いていた以上の惨状に言葉を失います。
 40しかないベッドは、子どもが優先で寝かされています。一つのベッドに、2人から、3人。小さい子なら、4人とか。とにかく、乗せられるだけ乗せる。そうして空けたベッドに、重篤者。床に敷かれた敷物には、老人優先で寝かされ、成人男性は、シーツすらない状態。溢れんばかりの、病人。
 しかし、罹患者はここにいるだけではないのです。他の診療所や、医者にもかからず自宅でひっそり息を引き取るものもいると言います。
 消えない痣。広がる痣。痣痣痣。
 怒りなのか、嫌悪なのか、言いようのない激情に、目眩すら覚える。
「魔術師様、ちょっと、いいですか」
 ヤンが戻ってきます。後ろに、青年を連れています。
「先ほど言ぅとりました、助手なんですけど」
 後ろの青年が進み出ます。ロウウェンとあまり変わらない年頃のように見えます。誠実そうな切れ長の瞳は実にさわやか。
「これはレイシンと言って、近くで研ぎ師をしとります。最近まで余所の町に出とりましたが、生まれ育った町でっさかい、案内くらい勤まります。病が広がってから、よう手伝いにきてくれとるんですけど、仕事は早いし、きっと重宝しますよ」
「……レイシンです。よろしくお願いします」
 きちんと頭を下げるレイシンに、ロウウェンはうんと頷きます。
「まずは病の発生源を突き止めたい」
「話は伺っております。ここに、」
 すっと、レイシンは紙を差し出します。
「借りてきました。奇病発生当初、罹患者から聞き取った分布図だそうです」
 ロウウェンは紙を開きます。誰の手によるものか、町の簡略図に点が記されています。
「この点が?」
「罹患者の発生したところです。実際は、もっと増えてるはずですが」
「これで十分だ。とりあえず……」
 ロウウェンはちらりと視線を上げました。ヤンもジョシュアも、すでに罹患者の治療にあたっています。とはいえ、根本的な治療法がない今、できることは対症療法でしかありませんが。
「……ここでは邪魔になるな。出るぞ」
 罹患者が詰め込まれた診療所を出て、死病が蔓延する町へと。




 コーリンに、秋はありません。短い夏が終われば、秋を感じるより、冬の訪れを知るのです。終わりかけの夏日は、それでも晴れた空に乾いた風が吹き、気持ちのいい一日になりそうなのですが。
 死病の蔓延に、町は泥の底のように、沈んでいます。通りを行くものは少なく、閉めた店もそこかしこに。通りを横切る猫ですら、何かに怯えているように見えます。
「……まるで廃墟だな」
 そう、ロウウェンはつぶやくけれど。病の駆逐が遅れれば、ルーチェの予言が現実となり、ここは廃墟そのものになるでしょう。
「市場まで行けば、まだ人通りもありますよ。いつもの、半分ほどですけど」
「ふぅん……実際、罹患者はどれだけいるんだろうな……」
 ロウウェンの問いかけは答えを求めるものではなかったのですが、意外なことに、返答がありました。
「自分が聞いたところに因ると、死亡者は約40人、罹患者は確認されているだけで300人を下らないそうです」
「ほぅ……」
 思わず、感嘆のため息が漏れます。
「……ムダに診療所に出入りはしていない、か。耳がいいんだな」
「……ありがとうございます」
 首都周辺の人口は約7千人。そのうち、周辺の農村民を除く町の人口は約5千人。6%が罹患し、罹患者の一割以上がすでに死亡している。しかもそれは、ヤン診療所で判明しているだけ。ひょっとしたら、実際の数値はその2倍になるかも知れない。最初に罹患者が見付かってから僅か10日ほどだというのに、その数値は驚異です。ルーチェの予言する未来は、すぐ、間近に迫っているようです。
 ロウウェンは足を止めました。
「さて。ここから、二手に分かれる。この地図を完成させるぞ」
「正確な分布図を作るのですか?」
「分布図だけあってもな。もう少し情報を盛りたい」
「……例えば、発症日とかでしょうか」
 ほぅ、とロウウェンは目を細めます。
「ヤン先生が薦めるだけあるな。まさに、その通りだ。まずは、罹患者の集中する場所と、罹患発生が早い場所を特定する」
「なるほど。両者が重なる場所が怪しいとなるわけですね」
「そうだな。さて。……この地図を見る限りじゃ、罹患発生は下手に集中しているみたいだが……そうとばかりは言えないか?」
「多分、そうですね。この分布図は、ヤン先生の指示で診療所の職員が作ったみたいですから。集まるのは、あくまでヤン診療所にかかっている罹患者の情報でしかありません」
「やはりそうか。じゃあ、まんべんなく調べていかないとならないな」
「……でしたら、自分が下手を調べます。上手には、入れませんから」
「…………そうか」
 スーシアは、南北にやや長い、歪な円形をした町です。北側の、王宮に近い町は上の手と呼ばれる裕福層の町です。中でも特区は貴族や高級官僚が住み、金はあってもあくまで町民たる商家などは外区に住まいます。東や南には、職人が集まる工房街や問屋街があります。それから、上の手と対を成す下の手。これは全てから見放されたような南西に広がっている、雑多で繁雑で活気のある下町とスラムとを総称しています。
「なら、町の南側は任せる。日の暮れる頃に報告と作戦会議とするから」
「分かりました。診療所に、戻ればよろしいですか?」
「そうだな。とりあえずは、大まかな分布が分かればいい。今日の結果を基に絞り込みをかけていくから、とにかく広範囲に聞いて回ってくれ」
「了解です。それでは、この地図はロウウェン様がお持ちください」
「君は? 必要ないのか?」
 レイシンはさわやかに笑います。
「どうぞ、お持ちください。自分は、記憶力には自信がありますから」
「……そぅか」
 ロウウェンも記憶力に問題はありません。あるとすれば、スーシアの地理にそこまで明るくないこと。地図は、あった方が助かります。
 ロウウェンは地図をくるりと丸めました。
「そういうことなら、遠慮なく持って行こう。ところで、」
 ロウウェンは探るような視線をレイシンに向けます。
「名乗った覚えはないんだがな。説明願えるか?」
「……」
 レイシンを連れてきたヤンはロウウェンの名を呼んでいないし、魔術師様とは言っても、それが宮廷魔術師だとは言っていません。
「……存じ上げておりましたから」
 ロウウェンの見る限り、レイシンに動揺は現れませんでした。
「自分は研ぎ師をしておりまして、姉の口添えで城の厨房にも出入りさせてもらってます。その際、何度か遠目ですがロウウェン様をお見かけしたこともあるのです」
「ふぅん、そうか」
 興味を失ったように視線を外したロウウェンですが、ふと何かに気付いたようにまた視線を向けます。
「姉がいると?」
「はい」
「ひょっとしてレイリーか?」
 驚いたようにレイシンの眉が跳ね上がります。
「……そうです。よく、お分かりになりましたね。全く似ていないと、言われ続けてきたのですが」
「確かに、似てないな。名前と、後、あのメイドが弟がどうこう言っているのを聞いたことがあったから。そうか、姉弟か、あの天然ボケの……」
「…………ロウウェン様、僭越ながら、一つ、よろしいでしょうか」
 レイシンがにこやかに笑っています。いくつも血管を浮かせて。
「姉は、ボケではありません」
 ずいっと迫りつつ、レイシンはきっぱりと言い切ります。
「確かに、天然の部分はありますが、ボケではありません。断じて!」
「そ、……そうか……?」
「はい!」
 妙な迫力にロウウェンは何気に引いてしまっています。




 昏い、場所。空気が澱んでいる。
 空っぽの部屋は、やけに広く感じる。簡素なベッド、机、イス。その部屋にあるものは、それだけ。
 冷たい石壁。紡錘形の部屋。小さな窓は、部屋の直径より高い天井付近にあるだけ。とても、そこまで行けない。外を見ることも、ましてや、逃げることなど。
 外に出る唯一の手段は、頑丈な扉。もちろん、固く施錠されている。がたつきも隙間も見当たらない。
 扉には、小さな搬入口が一つ。内側からは開かない。完璧な、密室。
 することもなく、ただ、時間が過ぎるのを待つ。死の恐怖に潰れそうになりながらも、ひたすら、待つ。
 それしか、できないから。


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