死ニ至ル病 ── 罹患報告 deathreport 1  




 ナ・アロワ海を挟んで向かい合う二つの大陸、マーグ大陸とログ大陸。列強国がひしめく二大陸から海を渡って北へ北へ。たどり着くのは、多分最北の国、コーリン。大小の島々からなる、群島国家。距離的にも、そして航海術的にも難しい位置にあり、あまり大陸との交流は盛んではありません。天然の鎖国島です。最も、ここ10年でそれも随分と変わってきました。徐々に交易も交流も増えてきています。
 10年前と言えば、現コーリン国王スオーラが即位した時期。政策変更は、彼の手腕によるものなのです。国交の回復、財政再編、官吏の海外留学、それから、
 ──宮廷魔術師の登用
 魔術師なんて希有な存在が、こんなちっぽけな島国に来てくれるなど。一体、どれだけの金額を提示したんだ。どれだけ、財政を逼迫させる気だ。当時はそんな不満が蔓延しました。僅か3年前のことです。
 力ある魔術師は、世界的に稀少で、国に仕えてもらおうと思ったら、弱小国なら財政が破綻しそうな金額を提示しなければならないと言われています。それでも、他国がそれ以上の金額を提示すれば、魔術師は容易くなびく。傾国の美女ならぬ傾国の魔性。
 そんなだから、人々はいつ国が傾くのかと恐々としたものですが、一向に財政が逼迫する様子もなく、さりとて無茶な増税があるわけでもなく。経済は変わらず安定しているのです。
 即位に際しては色々怪しい事件や噂がまことしやかに飛び交ったものだけれど、意外とまともな政治をするじゃないか、との評。




 噂の国王は、午前の公務を終え、午後からの公務に備えて準備中です。表向きは。
 実際のところ、スオーラに準備なんて必要ありません。書類をそろえるのも、読み込むのも、全部侍従がしてくれます。
 では、何をしているのか。公表されているわけではないけれど、誰もが知っています。お昼寝中だと。
 国王の執務室へは、侍従長以下10名が詰める侍従室を通らねばなりません。奥には兵士が張り付く扉があり、その先が執務室になります。ムダに広い執務室にはムダにでかい執務机と高そうな応接セットがあります。どちらも、結構な年季が入っています。先代から使っているものです。スオーラが新たに買い足したものは、あまり多くありません。
 執務室のさらに奥。やはりムダに重厚なカーテンの影に、ひっそりと扉があります。あまり知られていませんが、その先にも、小部屋があるのです。
 薄暗い小部屋には、小さなテーブルと、心地よさそうな寝椅子が一つ。寝椅子には、だらけきった様子のスオーラが乗っかっていました。ぱかっと開いた口から、今にも涎が垂れそうです。
 と、音もなく、細い影が出現しました。扉が開いた様子はありません。影は静かに寝椅子に近付きます。
「……何かあったか」
 今まで眠っていたとは思えないほど明瞭なスオーラの声。だらけた姿勢はそのまま、表情だけ、冷徹なそれでした。
 病が、と、影が音を発します。
「町に、病が発生しています。……死病です、陛下」
 それは国王の影、決して表に出ることはない裏のもの。情報操作から暗殺まで、彼女の仕事は多岐にわたります。彼女──メイドの、ルーチェ。
 スオーラはむくりと起き上がり、ルーチェと視線を合わせます。
「そりゃやっかいだな。物資の支給と……炊き出し、暇な兵士集めて院内清掃でもするか。後は……」
「対策は、取っています。院内清掃も、生水の煮沸も、害虫駆除も、害獣駆除も。それでも、一向に減らないんです」
 国王の言葉を遮って、ルーチェは言います。2年ほど前に留学先から帰ってきた町医者が、陣頭指揮を執っていると。通常考えられる手段は全て講じて、それでも減らない罹患者。
「普通の伝染病とは違うと?」
「未知の病だそうです。感染源も感染ルートも不明で、今のところ、致死率十割です」
 罹患することは、死を意味する。
 国王は憂鬱そうに唸りました。さすがに国王と言えど、死病が蔓延する町に無理矢理兵士を遣わすことなどできません。
「……やっかいだな。できるのは物資の支給くらいで……一応、町へ行く希望者を募るか。とは言え、集まるかね」
「……ジョシュア医師なら、希望されると思います。今すでに、休暇願出そうとしてるみたいですから」
 ジョシュアは、宮廷医術師。30代後半の、ちょっと神経質そうな先生です。
 スオーラは、思ってもみなかった名に眉根を寄せます。
「先生が? 何でまた」
「先生のご家族は町にいますから。心配なんでしょう。医師として放っておけないってことも、あるでしょうが」
 むぅぅっとスオーラは顔をしかめます。
「希望するんなら許可しないわけにはいかないが……ってかさ、こっちで罹患者が出たら誰が治療に当たるんだ?」
「町でも、ここでも、有効な対処法が見つからない限り、罹患は死を意味します」
「それはそうだが……」
 スオーラは苛立ったように頭をかきました。対照的に、ルーチェは淡々としたものです。
「当面の処置として、城で罹患者が出た場合は隔離します。それとも……」
 ふと、ルーチェの唇に優しげな微笑みが浮かぶ。
「他者に感染が及ぶ前に、始末しましょうか?」
「……そんな話はいらん」
 不機嫌そのもので吐き出された言葉に、ルーチェは黙って頭を下げます。
「はぁしかし……まいったな……未知の感染症って…………もぅ最悪じゃん」
「いえいえ陛下、序の口ですよ」
「ぁ? 何言ってんだ?」
 何故かどうしようもないほど優しげな微笑みと共に告げられた事実に、スオーラは二の句が継げませんでした。
 曰く、
「王宮内に、すでに罹患者がいるかも知れません」




「来たよ!」
 と、意味のない宣言と共にやってきた宮廷魔術師殿を、アレクシアはじと目で迎えます。
「ロウウェン……」
「今日の試食は何かな? あ、トライフル? それ、トライフルだよね?」
「何で呼んでもないのに、毎日毎日……」
「試食試食〜フェイ、スプーン。……銀食器じゃなくていいって言ってるだろ。その、木製でいい。木製で」
「こんな時間にやってきては」
「いっただっきま〜す」
「……って聞いてる!? ってか、聞いてないよね!?」
 ちゃっかり座って試作品であるトライフルを食べるロウウェン。真っ直ぐアレクシアを見、ステキな笑顔で一言。
「うまい!」
 一気に怒りが四散して、倦怠感だけが残ります。
「あ、あの、アレクシア……」
 アレクシアと同じ厨房の下っ端、フェイが挙動不審なくらいぎくしゃくと近付いてきます。
「き、宮廷魔じゅちゅ……じゅ、術師さまに、お、お、お飲み物もの……」
「フェイ……落ち着いてよ。そんなに噛むほどかしこまらなくていいってば。単なる、邪魔者なんだから」
「邪魔者はひどいな。試食職人と言ってくれ。あ〜、それからフェイ、それ以上アレクシアに近付くな。はい離れて離れて」
 ずざざっと音を立ててフェイが離れました。朴訥なそばかす顔が恐怖で引きつって見えます。
「邪魔者じゃなきゃ何だってのさ。……っていうか、職人って何だよ、職人って! 試食職人って……よくもまあそんな訳の分からない職業を考え出したものだね」
「まぁまぁ……フェイ」
 ロウウェンはどこからともなくコインを一枚取り出し、ピン……と弾きました。くるくるきらきらと回転しながら、それはフェイの両手に収まります。
「……他言は無用でお休み」
 フェイはコインをぎゅうっと握りしめ、勢いよくお辞儀をし、その拍子に額を調理台にぶつけつつも、人形みたいな動きで扉へ向かい。
「お……お先に失礼します!」
 今度は額を膝にぶつけそうな勢いでもう一度頭を下げ、そっと扉を閉めます。喜びのスキップが、遠ざかってゆく。
 ふっ、と短く息を吐き出す。
「単純だねぇ。……いいことだ」
 試食職人はそう言ってトライフルをもう一口。
「フェイは、いい子だよ。給料も、……君が時々渡すコインも、一途に貯めてるよ。弟や、妹のために……って」
 ロウウェンはスプーンをくわえたまま、かくりと首を傾げます。
「…………痛い?」
「え?」
「あ、いや……何でもない。気にしないでくれ」
 アレクシア自身、気付いていないようなので何も言いませんでしたが、ロウウェンの目には、確かに、アレクシアの目に陰りが見えたのです。その陰りの理由がなんなのか、気にならないわけではないけれど、でも、それを聞くのはきっと、今じゃない。
「それはそうと、これ、おいしいねぇ。この紅いゼリーは何?」
 ふわふわのスポンジと、角切りのゼリーと、サワークリームをざっくりと混ぜ合わせたような感じで重ねて。ゼリーは崩さず、クリームはふんわりと。そんなトライフル。
「ザクロ」
「ザクロか。ふぅん……ザクロって、こんな味なんだ」
「種ばっかりで食べにくいけど、見た目は宝石みたいだし。ゼリーにしてもきれいな紅色だし。ちょっと、薄味だけどね。仕上げにクリームと、見た目が似てるキイチゴを飾る」
「うんうん、綺麗でおいしくて、いいと思うよ。んん、さすがアレクシア」
「そ……それは、どうも……」
 試食職人発言にはご立腹だったようだけれど、ほめられれば嬉しくなるもので。アレクシアも、照れくさそうに顔を赤らめます。
「……ごちそうさまでした」
 空になった器の前で、ロウウェンはきっちり両手を合わせます。
「結局全部食べちゃったし」
「食べたかった?」
「そうじゃないよ。そもそも、何で君が食べちゃうのさ」
「そりゃ、試食職人……」
「だから! そんなものないってば!」
「まあまあ。今度お礼にごちそうするよ。だから、デートしよう?」
「しない・いらない」
 小さな木べらで汚れを掻き落とし、洗い桶の残り水でスプーンと器とをきれいに洗ってしまいます。乾いた布で水気を拭き、食器棚に片付ければ今日の勤務は終了です。
「さ、今日はおしまい。ボク部屋に戻るけど、ロウウェンは? まだここにいる?」
「何馬鹿なことを。君がいる場所が、僕がいる場所。だから僕の部屋においで? 朝まで一緒にあんなこととか、こんなこととか」
「セクハラ反対」
「セクハラじゃないよ〜! 本気で口説いてるんだってば〜! まったく、僕がこんなにも君の心も身体も全て自分のものにしたいと思っているのに、どうして分かってくれないのかな」
「うん、ボクも不思議だよ、どうしてその発言全てがセクハラだということに気付かないんだろうね」
 なおもセクハラじゃないと言いつのるロウウェンを尻目に歩き始めたアレクシアの身体が、ゆらりと、揺れました。すぐさま伸びたロウウェンの手で、支えられる。
「大丈夫? めまいでも起こした?」
「あ…………うん、ありがとう。ちょっと、クラッときた。もう平気」
「んん……部屋まで送っていくよ」
 ロウウェンを見るアレクシアの視線が冷ややかになります。
「そのセクハラ大王の言葉、素直に受けると思ってる?」
「セクハラ大王とはひどい。あんまりだ。まぁでも、今回は、下心はないよ。ってかさ、いくら常に押し倒して唇奪ってその身体の奥深くまで知りたいと思っていても、」
「なっ……!」
「具合が悪いことにつけ込んでまで純潔奪いたいとは思っていないよ」
「…………っっ」
 はははと実にさわやかに笑うロウウェンを、アレクシアの右ストレートが




 誰もいなくなった厨房に、影が出現します。扉の向こう、僅かに漏れ聞こえる魔術師の声に、眉をひそめます。
「……彼が、キーマンなの? 彼に、……解決できるの?」
 影は憂鬱そうに首を振り、スカートのほこりを払いました。
「あなたを信用しないわけじゃないけど、……ううん、失うものなんてないんだから、信じるわ。信じるわよ、……レイリー」
 微かにつぶやく声に、答えるものはありません。
 扉に向けられた探るような視線も、いつしか薄闇にとけて。

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