・・6・・

 
 大学から帰る途中の道だった。人混みをさけ裏道を歩いていた時のことだ。
 前方に立ちふさがる1人の男。
「…あなたは」
 僕は立ち止まった。心当たりがあったのだ。 
「久しぶりだな、海」
 そう、研究所で何度もあったことのある男だった。
「用件はわかっているのだろう」
 そう言われるが僕は答えない。 
「今、戻ってくればお咎めナシだ。…戻れ、海」
 戻る?…どこへ?
「僕は…」
 身体を後退させる。
「…気が進まないが、力ずくで戻すしかないかな」 
 男がそう言う。そして、カチャリという音。
「!」
 僕は身動きがとれなくなる。
 そして、向けられる拳銃。…撃たれる、そう思った。
 その時だ。
 銃声。
 と、同時に風を切る音。僕のすぐ側を弾丸が通っていく。
 …見れば襲撃者は手を押さえてうずくまっている。その手に銃はない。
「え?」
 僕は思わず振り返る。
 コンと靴音を響かせて現れたのは氷室。 
「!」
 相手が息を呑むのがわかった。
 一方で氷室の表情はまったくと言って良いほどない。その癖に相手を圧倒させるような殺意を放っている。
「…お咎めナシにするっていってるヤツがどうして薬品や銃を持ってるんだね?」
 そう言うとようやく表情を動かしニヤリと口の端をあげて笑った、氷室。
 初めて出逢ったとき感じた「死神」の空気を纏っている。
 虚無の香り。
 それに魅せられてクラリとくる、僕。
 その僕を支え、
「有沢、どうしたい?」
と、氷室は訊いてきた。僕は答える。
「僕はあなたといる」
 そう。氷室の言葉通り、戻ってもお咎めがないはずがない。それに…氷室といたかった。
 …死神に魅せられたのかもしれない。
「オーライ」
 氷室はそう言うと、さっと手を閃かせた。
 そこから飛び出たのはワイヤ。さっきもそうして相手の手を攻撃したのだろう。伸びたワイヤは手と首に巻き付いている。
「死にたくなければ、帰りな。あんたの相手してるほど俺は暇じゃないんでね」
 そう言いながら氷室はワイヤを操っている。
「止めてくれ、わかった、引くよ」
 苦しげな言葉。
「あ、そう」
 興味なさそうに氷室は答え、ワイヤを緩めた。ただし、手だけは拘束したままだ。
 ワイヤが外れて相手が咳き込むのを冷たい目で氷室は見下ろしている。そして銃を回収すると
「行くぞ」
と僕に声を掛けてきた。僕は頷いて後を追う。
「…訊かないのか?」
 しばらく言ったところで僕は氷室に言った。
「お前が言いたくなってからでいいさ」
 氷室はそうとしか答えない。
 しばらく歩くと氷室の車があった。そのまま二人とも黙ったままで、車に乗り込む。
 不意に氷室が口を開いた。何を言うのかと僕はびくっとしたのだが
「…夕食当番、お前の日だぜ」
と言い彼はニヤっという笑みを見せた。さっきまでとは酷く違う表情。
「え、あ、はい」
 僕は面食らってしまった。そして間抜けな返答をしてしまう。そんな僕を見ながら氷室は笑って
「買い物、付き合ってやるよ。行こうぜ」
と言った。
 僕も微笑み返した。が、きっとぎこちなくなってしまったはずだ。
 仕方もない。
 …先ほど見た氷室の表情がどうしようもなく、怖くて…そして、寂しかったのだから。
 
 ・・・・・

「それで?」
 そこで久野は氷室を見た。
 ここは久野の診療所。「休診」と書かれたプレートがかかったドアの奥では氷室と久野が話をしていた。
「ああ」
 …犯人は逃してやったよ、と続ける氷室。     
 そんな氷室に久野はふっと溜息をついた。
「ったく、妙なところで人が良いよな」
 そう言いながら彼は紅茶を淹れた。そしてカップを氷室に差し出す。
「育ち方のせいじゃねぇの?お前んとこの親父さんだってわりとそうじゃねぇか」
 その言葉に僅かに久野は眉を顰めた。だが一瞬で表情を立て直すと
「まあね、でもそのまま帰して後々、厄介にならないか?」
と言った。
「無事だろうと、その場で始末していようと変わらないと思うぜ。それぐらいご執着な様子だから」
 氷室はそう答える。
「そうだろうな」
 久野は頷く。そして呟いた。
「彼に何かあるのか…それとも彼が何か持っているのか」
 追われるには、それだけの理由があるはずだろう。
 そんな久野の言葉に
「興味ねぇや」
氷室と言った。その様子は実に気怠げで、いかにもという感じだった。
「たまたま俺と敵が同じだから戦ってやるだけさ」
 そんな氷室に久野は微笑む。
「お前らしいな」
 氷室はふと
「お前、親父さんの方はどうなんだ」
 久野は無表情に答える。
「ああ、あの人は相変わらず、大病院で忙しくしてるらしいよ」
 そんな久野に今度は氷室が笑った。
「相変わらず犬猿の仲か」
 久野は呟く。
「わかりあえないんだ、俺達は」
「だろうな」
 氷室は頷いた。
「ハルのことがあったからじゃない。その前からだ」
 久野の独白めいたその言葉。
 氷室が目を伏せて言う。
「…知ってる。俺だって一緒にいたじゃないか」
 その時、カチャリとドアが開いた。
 そこにいたのは。
「ハル…」
 気まずい雰囲気が流れる。
 が、氷室はそれにも構わず訊いた。
「有沢は?」
「大丈夫よ。酷い緊張、それが解けてほっとし過ぎたのね」
 ハルはそう答えた。
 …そう、結局夕食当番は果たされなかった。
 有沢はあの直後に倒れてしまったのだから。
「あの子をみてると、自分を思い出すわ」
 久野は何も言わない。
「…同じなのよ、私と」
 ハルは呟く
「それは、改造されてるってことか?」
 氷室が落ち着いた声で問う。
「氷室!!…止めろ、ハル」
 叫ぶ久野の声は明らかに焦っている。

 沈黙。

 やがて氷室が口を開く。 
「…そうなら、また一騒動あるな」
 ニッと笑ってそう言う氷室。
 その胸元では銀十字が冷たく光っている。


 ――死神が舞う日は近い。




本を閉じる   7へ